★ 今、生きていることが素晴らしい!

 もう何年も前になるが、故・伊東博先生に宮崎に来ていただいて『ニューカウンセリング』のワークショップを開催したことがある。

 

  伊東先生は、欧米の「カウンセリング」を日本に始めて紹介され、その普及・発展に尽力されてきた我が国の草分け的存在。その先生が、後年は「言葉によるカウンセリング」の枠を超えて、『心身一如のニューカウンセリング』(誠信書房刊)を提唱されるようになった。「言葉」だけに頼らない、「こころ」ばかりでない、「からだ」も含めた『体験』を重視したワークショップを各地で実施しておられた。

 

 そのワークショップに始めて参加したのは、まだ若き学生時代、箱根で2泊3日だったろうか。当時、伊東先生は横浜国大の教育学部教授であった。いろんな不思議なワークがあったが、足の裏で音楽を聴いたり(?)、女の人とじっと見詰め合ってドギマギしたり、林の中を歩いて樹木と話をしたり(?)したことを思い出す。

 

 そんなワークショップを地元の九州で再び開きたくなった。丁度、私がスクールカウンセリングに携わり始めたころだったろうか。学校の中で、子どもたちと「言葉」だけで関わることの限界を感じていたのかもしれない。恐れ多くも大家の伊東先生にお願いしたら宮崎まで来ていただけた。

 

 先生は、酸素ボンベを携帯して宮崎県南部の温泉地の会場に来られた。伊東先生は長らく健康問題を抱えておられたが「ワークショップで倒れても本望」とばかりに意気盛んであった。ワークショップでは、先生お勧めのモダンな音楽(?)を聴いたり、自然と丁寧に触れ合ったり、・・・と『五感による豊かな体験』を久しぶりに味わった。その数年後、伊東先生は残念ながら逝かれてしまった・・・が、晩年の先生の貴重なワークに触れ得たことは望外の幸せであった。


 その後、私はニューカウンセリングの他にも、動作法によるストレスマネジメント技法を研鑽したり、気功法や太極拳を学んだりと、さまざまな角度から『心とからだの関連性』に関心を持ち続けてきた。こうして、私の心理臨床のスタイルも伊藤先生よろしく随分『心身一如』の様相を深めてきた。心理相談の場面なのに、場違いな「からだを動かしてみませんか?」という私の提案に戸惑うクライエントも少なくない様子。だが、その効果は抜群(?)であった。


 例えば、うつ状態で入院していた社長さんのベッドサイド・カウンセリングを担当した時のこと。病状は落ち着いたが外出意欲も出ず寝てばかりいるという。そこで、ベッド脇に立ってもらって、『肩の力を抜き、足裏で床をしっかり踏みしめ、背筋を伸ばす』といった簡単な動作法を実施。すると、本人は「気分がすっきりした!」と明るい表情になり、こともあろうに、その日からスポーツジムに毎日通うほど行動的になった。

 

 また、不登校状態だった男子高校生の場合も、『上半身の緊張を弛め、下半身を安定させ、ふらつかないで立つ』という姿勢作りを手伝ったところ、その直後、急に「学校に行ってみる」と言いだして1ヶ月ぶりに登校した。

 

 パニック発作の不安を抱えた女性との面談では、『空を見上げて雲を眺めてみる』『生け花の色や匂いを味わう』『目を閉じて聞こえる音に耳を澄ます』といった『五感の活用』を勧めてみたら、それだけで、発作不安が解消して安眠できるようになり、さらに自分のライフスタイルの歪みも見直すようになった。

 

 これらの事例のように、悩みや問題を話し合うばかりでなく、『身体感覚』や『五感』を活用するとポジィティブな変化が生じやすい。その理由は、おそらく、今この瞬間に感得される「心地良さ」「安定感」「充実感」等に注目することによって、とらわれていた「不安」や「恐怖」から解放されること、さらに、肯定的な自己イメージや自己効力感(自信)が形成されることなど、効果があったと推察される。

 

 さて、事例のような身体経験や感覚体験は、何も特殊なものではなく、日常的な生活体験として誰もが容易に実感できるものである。ただ丁寧に『今、ここの体験』に焦点を当てただけにすぎない。しかし、現代人は、時間に追われ、対象に囚われ、観念に埋没し、イキイキとした生の実感を見失いがちである。そうした状況下、『からだ』を通じて体験することは、『自分』を取り戻す貴重な気づきを提供してくれる。

 

 そう、「今、呼吸している自分がいる」「この瞬間、世界を感じている自分がある」ことを十全に実感できれば、私たちは『素晴らしい自分が存在する』ことを確信できるだろう。たとえ、どんな窮地に追い込まれたとしても、八方ふさがりになったとしても、あるいは苦悩と絶望のふちにいるとしても、私のからだは「今、この瞬間、生きていることが素晴らしい!」という感動を提供してくれる。

 

  生きてることは、有り難いことである。


「メンタルヘルス・ネットワークレポート20号」(株式会社フィスメック発行)(2008年)に掲載