★熊本地震を一ヶ月経過して想う

 

 今、熊本市内のにぎやかな街中を歩きながら、一カ月前の熊本地震のことが、一瞬、夢か幻かと現実感を失いそうになる。しかし、見上げると熊本城の厳しい姿が目に映り、今後の自身の生活再建と熊本の復興の長い道のりが重なって、心にグッと迫って来る。

 

 今回の熊本地震の被害は県内広範囲に及び、その被災内容や程度は、各事業所や各個人でさまざままに異なり、隣接する状況下での明暗も大きくて、再建・復興といっても、容易に一般化できない、一括りで話せるものではない。

 

    さらに、個人の精神的なダメージや心のストレスの大きさも、表向きの被害の大きさ(全壊、半壊、一部損壊)などで単純に推測されるものでなく、その人の置かれた状況や立場、年齢や性格などで大きく異なっている。

 

 なので、単に、地震の被災者という視点から何らかの支援・援助が提供されたとしても、公的支援も、個人的な励ましや応援も含めて、それは大変有り難いけれども、実は相当に表面的・一時的なものでしかない有り得ない場合が多い。

だから、外からの一般的な支援・援助というものは、本来、限界がある(不十分なもの)と認識する必要がある。

 

 では、この難局を乗り越えて行くために必要なことは何であろうか?

 

 それは、外に頼らず、依存せず、各自が自分の足で立って、自分で考え、意思を持って、周囲に働き掛け、周囲と連携・協力して、自ら道を切り開いて行こうという、一人一人の決断と行動ではないか?

 

 今、私達が置かれた状況とは、これまでにないワンランク上の課題(難問)を突然に突き付けられ、天から「さあどうする?」と問い掛けられている、試練が与えられている、と受け止めることもできる。

 

 しかし、「天災」だからと、どうしようもないと早々にバンザイしたり、外からの救援に依存するばかりではなく、各自に与えられた立場や役目において、出来るかぎりの努力をしていくことが、今現在、求められているのではないか?(「天災」ではなく「天の采配」ではないか?)

 

 そうして気付くのは、私達はどんな時でも無力ではない、自らの意思と努力で必ず解決の方途は見い出せる、ということ。そして、そうした前向きの意思と行動には、おのずと周囲からの有り難い協力や手助けが付いてくる、いわゆる「天は自ら助くる者を助く」ということ。

 

 さらに言えば、この非常時とも言える状況下は、実は私達にとって、公私に、これまでの固定観念や古い価値観、個人的な思い込みや習慣化した慣例などを脱皮、打破、打開して、ワンランク上のステージに上がる、新たな人生観や価値観を獲得して真の幸せに向かう、という最大のチャンスかもしれない。

 

 だから、皆さん、大変だけど、投げやりにならず、焦らず慌てず、周囲の大事な人たちと話し合い、しっかり心を通わせながら、一緒に、一歩一歩前進していきましょう!そして、素晴らしい熊本を復活させましょう!

 

 ※  事業所向けメールマガジン《熊本産業保健総合支援センターメルマガ第106号》に掲載されました。