最近、「こころの問題」とは、誰にも起こりえる心身の不調、あるいはストレス性の変調として認識されつつあります。
そのたため、従来よりも比較的早期に心療内科や精神科クリニック等の医療機関を受診する人も増えています。
しかし、その一方で、病院受診を続けても成果や改善が得られないという、不満や失望の声も聞こえてきます。
私は、これまで精神科や心療内科の先生方と連携しながら、さまざまな「こころの相談」に関わって来ました。
思春期問題をはじめとし、職場不適応などによるストレス障害など、幅広い年齢層の方々とお会いして来ました。
問題の当人だけでなく、家族や学校関係者、職場の同僚や上司など、周囲の関係者との面談も少なくありません。
むしろ時には、周囲の家族や関係者との面談が中心となり、本人とは一切会わずに問題が改善したケースもあります。
個人の面談では、カウンセリングばかりでなく、リラックス法など非言語的手法も活用して臨機応変に対応してきました。
もちろん、医療的治療が併用される場合もあり、心身の安定を医学的にサポートすることが不可欠なこともあります。
さらには、ケースワーカーや地域の保健師らと連携して、生活面や環境面の改善支援が必要となる場合もありました。
また、時には、栄養指導など、片寄った食生活を改善したことが顕著な「こころの改善(?)」をもたらした例もありました。
そうした様々な事例を経験すると、まことに「こころの現象」とは多面的な要素で変化・改善するものだと実感できます。
特に、当人の潜在的な『リソース』(資源・資質・能力など)を発掘・活用して有能感や健康感を高めることは大切です。
さらに、当人が主体的に選択・発見する「問題の解決」は、往々にして専門家(?)の評価や予測を超えていたりします。
ですから、行き詰ったり困難に陥った時、その解決について、多様な視点から様々な方法を試してみることお勧めします。
決して、ひとりの「こころの専門家」に頼り過ぎないようにしましょう!ひとつの見解や方法だけで諦めてはいけません!
人間の「こころの世界」はまことに多様であり、その潜在的な可能性は「未知」なる広がりと奥行きを持っています。
問題の解決の糸口は、どこかに必ず隠されています。私達は、何十年生きても大いなる可能性に「無知」のままです。
苦しい人生も、実は「舞台」のようなものであり、それぞれ私達は「自分の役割」を必死に演じているようなものです。
しかし、与えられた「役割」はあっても、その役割をどう演じるかという「自由」を持っていることを人は忘れがちです。
人間の「自由」とは、実は「こころ」であり、「意思」を持つ事であり、好きなように「考える」ことが出来ることです。
しかし、この「こころ」が諸刃の件なのであり、喜びと同時に、苦悩や葛藤を生み出す源泉となっています。
だからこそ、この「こころ」の上手な取り扱い方、その「コツ」と「ワザ」をしっかりと学ぶ必要があります。
「健康」と「幸福」を獲得する鍵は、自分の「こころ」がその選択権と決定権を持っている、と知ることです。